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「狼妖団設定置き場その2」の過去ログ

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2019年06月16日 09時04分 ~ 2019年07月06日 20時32分 の過去ログ
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マックス・シュルツ同日19時、「カールスルーエ」は「ルクス」、「ゼーアドラー」、「グライフ」を伴って出港し、帰途に着いた。20時ごろ、イギリス潜水艦「トルーアント」の攻撃を受け「カールスルーエ」に魚雷が命中した。「トルーアント」は10本の魚雷を発射し3度爆発音を聞いているが、ドイツ側の報告では命中魚雷は1本となっている。「カールスルーエ」の損害は大きく、「ゼーアドラー」と「ルクス」が乗員を収容したあと、22時50分に「グライフ」から魚雷2本が打ち込まれ、「カールスルーエ」は沈没した。   (2019/6/16 09:04:00)

マックス・シュルツ    (2019/6/16 09:05:27)

マックス・シュルツケルン (軽巡洋艦・3代)  男 168cm  体格はやや小柄で体力に乏しく、身体能力は高くない。堅固な意志を持つが、活発さに欠ける性格を自覚しており、そこに不甲斐無さも感じているという内罰的な一面を持つ。知略に優れ発想力も高いが、自分の読みが外れてしまうと判断力が鈍るという欠点がある。そのため指揮官よりもその才覚は参謀向きであり、読みを外してパニックになった時ブレムゼに指揮役を託した。 時々ゲスいが、本人は無自覚な上に作戦としてやるべきことと考えている。   (2019/6/16 09:08:48)

マックス・シュルツ第二次世界大戦開戦時はバルト海に展開。続いて、北海で機雷敷設作戦の支援に当たった。1939年10月には戦艦グナイゼナウなどと共に北海北部への出撃を行った。 ドイツの駆逐艦はイギリス島東岸沖に機雷敷設を行っていて、その支援のために巡洋艦が投入された。12月12日、そのような支援作戦の一つで「ケルン」、「ニュルンベルク」(ギュンター・リュッチェンス少将座乗)、「ライプツィヒ」がSchillig Roadsから出撃した(Nanni-Sophie作戦)。12月13日、ドイツの巡洋艦はイギリス潜水艦「サーモン」に発見され攻撃を受けた。まず、11時25分に「ライプツィヒ」に魚雷が命中し、続いて11時27分に「ニュルンベルク」にも魚雷が命中した。13時40分に駆逐艦「ヘルマン・キュンネ」、「リヒャルト・バイツェン」、「ブルーノ・ハイネマン」が合流し、それらに護衛されて3隻の巡洋艦は帰路についた。「ライプツィヒ」と「ニュルンベルク」の出せる速度の違いからリュッチェンスは別々に帰還することを決め、「ケルン」は「リヒャルト・バイツェン」、「ブルーノ・ハイネマン」とともに「ライプツィヒ」に同行した。   (2019/6/16 09:09:46)

マックス・シュルツ翌朝には駆逐艦「ヘルマン・シェーマン」、「フリードリヒ・イーン」やFボート、Rボートと合流し、「ケルン」は「ヘルマン・シェーマン」、「フリードリヒ・イーン」を伴い「ライプツィヒ」とは別れた。同日午後、「ケルン」はイギリス潜水艦「アーシュラ」に発見されたが「アーシュラ」は攻撃を行うことは出来なかった。この後、「アーシュラ」は「ライプツィヒ」などに対して攻撃を行いFボート1隻を沈めている。   (2019/6/16 09:10:17)

マックス・シュルツ1940年4月、ヴェーザー演習作戦に参加。ケルンは軽巡洋艦ケーニヒスベルクなどと共にベルゲンの攻略に当たった。4月9日に部隊はベルゲンに到着し、ベルゲン占領に成功した。だが、4月10日に英軍機の攻撃でケーニヒスベルクが撃沈された。ケルンは4月11日にベルゲンを離れドイツに戻った。 1940年後終わりから1941年初めまでは改装に費やされた。 1941年9月、ソ連艦隊の出撃阻止のため戦艦ティルピッツなどと共にエーランド海へ出撃した。10月12日から21日までヒーウマー島の攻略に従事。この間の10月13日にはソ連潜水艦Shch-323の雷撃を受けるが回避に成功した。 1942年2月、3月に改装が行われた。8月、ノルウェー北部へ進出。   (2019/6/16 09:10:34)

マックス・シュルツ12月に行われたバレンツ海海戦の結果、ヒトラーは大型艦の解体命令を出した。この命令は結局実行はされなかったが、ケルンなどは退役させられることになった。ケルンは重巡洋艦アドミラル・ヒッパーと共にノルウェー北部を離れ、2月8日にキールに到着した。そして、2月17日に退役した。 1944年4月1日、ケルンは再就役した。12月13日、ケルンはオスロフィヨルドで爆撃を受け多数の至近弾により損傷した。12月31日にも再び至近弾により損傷。オスロで修理を受けたが不十分であり、そのためヴィルヘルムスハーフェンに移った。1945年3月30日、ヴィルヘルムスハーフェンで爆撃を受けて被弾、大破着底した。4月5日退役。   (2019/6/16 09:11:05)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/16 09:11:13)

おしらせマックスさんが入室しました♪  (2019/6/18 21:49:56)

マックスインペッカブル (音響測定艦) 男 180cm アメリカ出身の軍艦。好奇心が強いため、幼少期の頃はかなりの問題児だった。腹黒い…らしいが、本人は自覚しているか否かは不明。だが怒ると裏でやり返してくる厄介者。宇宙人と知り合いらしい。音に異常な程敏感なため、色々分かるらしい。   (2019/6/18 21:52:50)

マックス   (2019/6/18 21:52:55)

マックスインテグリティ(音響測定艦) 男 180cm インペッカブルの弟。未成艦。兄弟の筈が似ていない。インペッカブルとはうってかわって性格も真反対。だが腹黒さは似ている。こちらも音に異常な程敏感。   (2019/6/18 21:54:56)

マックス   (2019/6/18 21:55:05)

マックス艦体はヴィクトリアス級音響測定艦に続いて双胴船型を採用し、これにより静粛性と安定性を確保している。監視用曳航アレー探知装置(SURTASS)とパッシヴ/アクティブ低周波ソナーを使用して、潜水艦の音紋データ採集を行なうことを主任務とする。操艦などは民間人が行い、音紋データ収集などは海軍軍人が行なうこととなっている。 当初は2番艦以降も建造される予定であったが、2番艦「インテグリティ」(AGOS-24 Integrity)は建造途中で中止され、結局1番艦である本艦のみとなった。   (2019/6/18 21:55:43)

マックス2000年8月16日にマースク・ラインと3年の運行契約を結ぶ。 2009年3月8日に海南島沖約120kmの海域で、中国人民解放軍海軍の調査船5隻が包囲し「インペッカブル」の進路妨害をした。これに対し「インペッカブル」は接近してきた中国船に対し放水、対する中国船2隻も前方に進出し、結果「インペッカブル」は緊急停止した。この事件発生前の3月4日から中国側は「自国管轄海域」であると警告し、「インペッカブル」に強力な照明を当てるなどしていた。 過去には今回の事件と類似した海南島事件も起きている。   (2019/6/18 21:56:31)

おしらせマックスさんが退室しました。  (2019/6/18 21:56:39)

おしらせマックスさんが入室しました♪  (2019/6/19 06:10:42)

マックスマーシャル・デオドロ(Marshal Deodoro) 男 177cm ブラジルの海防戦艦。爽やかでフレンドリー。   (2019/6/19 06:12:53)

マックスマーシャル・デオドロ(Marshal Deodoro) 男 177cm ブラジルの海防戦艦。爽やかでフレンドリー。自国での経験があるためか、犯罪には人一倍過敏。犯罪対策に特化している。仕事に従順で忠誠的。感情の移り変わりが早い。一見クールで話よりがたい雰囲気だが、むしろその逆でどんどん話しかければ仲良くなる。   (2019/6/19 06:15:30)

マックスブラジルは犯罪率が高いからね。止めてた車が数分で無くなるくらいです。((   (2019/6/19 06:15:58)

マックス1896年にラ・セーヌ社トゥーロン造船所にて起工、1898年に進水、1900年竣工。1924年にメキシコに売却してメキシコ海軍にて「アナウワク(Anahuac)」として就役。1945年に除籍後、メキシコで解体処分。   (2019/6/19 06:16:18)

マックス   (2019/6/19 06:16:20)

マックスマーシャル・フロリアーノ(Marshal Floriano) 男 174cm デオドロと似て物腰が柔らかく他人に優しい。苦労しやすい。でも頑張る。ちょっと諦めやすい。いっそのこと全部投げ出すという兄と違う堂々とした覚悟がある。   (2019/6/19 06:18:36)

おしらせマックスさんが退室しました。  (2019/6/19 06:18:42)

おしらせマックスさんが入室しました♪  (2019/6/19 06:37:02)

マックスアラスカ (大型巡洋艦) 男 180cm 様々な作戦に参戦してきたこともあり、戦時経験が豊富。ごり押しならなんとかなるだろといった脳筋ぶりもあるが、基本的には指示に従う。空母フランクリンとは仲がいい。軽巡洋艦サンディエゴ(USS San Diego, CL-53)に想いを寄せている。空母主力時代に生まれたこともあり、あまり自分を評価しない。でもその実、兄弟たちだけでなく仲間たちの信頼も篤いため、なにかと頼りにされる。   (2019/6/19 06:42:03)

マックスアラスカ(USS Alaska, CB-1)はアメリカ海軍の大型巡洋艦。アラスカ級大型巡洋艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国49番目の州(命名当時は準州)に因む。   (2019/6/19 06:42:20)

マックスフィラデルフィア海軍工廠での艤装が完了すると、1944年8月6日にアラスカは、シンプソン(USS Simpson, DD-221)とブルーム(USS Broome, DD-210)に護衛されデラウェア川を下りハンプトン・ローズへ向かう。その後チェサピーク湾で整調を行い、続いてトリニダード島のパリア湾でベインブリッジ(USS Bainbridge, DD-246)とディケーター(USS Decatur, DD-341)の護衛を受け整調を続けた。メリーランド州アナポリス経由でノーフォークに向かい、アラスカはフィラデルフィア海軍工廠に戻り、5インチ副砲用の MK.57 射撃管制装置4基の変更を受ける。   (2019/6/19 06:43:01)

マックス11月12日にフィラデルフィアを出航し、敷設駆逐艦トーマス・E・フレーザー(USS Thomas E. Fraser, DM-24)と共にカリブ海へ向かう。グアンタナモ湾沖での二週間の標準化公試が完了すると、12月2日に太平洋に向かう。12月4日にパナマ運河を通過し、12月12日にサンディエゴに到着する。その後サンディエゴ沖で砲撃訓練および対空戦闘訓練を行い、ハンターズ・ポイントで信頼性試験を行う。   (2019/6/19 06:43:19)

マックス太平洋戦線。 1945年1月8日にアラスカはハワイへ出航し、13日に真珠湾に到着した。1月27日にフィッシャー艦長は将官に昇進し、ケネス・M・ノーブル大佐とその任を交代する。アラスカは訓練を続け、第12.2任務群に配属されると1月29日に西太平洋に出航する。この集団は新しいものと古いものの混合体であり、アラスカやベニントン(USS Bennington, CV-20)、ランドルフ(USS Randolph, CV-15)の新顔と、一方で空母サラトガ(USS Saratoga, CV-3)および戦艦アーカンソー(USS Arkansas, BB-33)の歴戦艦が主力を構成していた。艦隊はウルシー環礁に到着し、カロリン諸島を経由した後、2月6日に第58.5任務群として合流。高速空母任務部隊である第58任務部隊を構成する一員を成した。   (2019/6/19 06:44:04)

マックスアラスカは1945年2月10日に第58.5任務群の一部として日本本土へ向けて出航する。その任務は東京への夜間空襲を行うサラトガ、エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)[1]の護衛であった。航海の間、全てのアラスカの乗組員はこの先に何があるかを考えた。その4分の3は戦闘を経験したことが無く、彼らは「相談と助言のために」ベテランを捜した。対空警戒の中、ノーブル艦長は拡声器を用いて乗組員に、野球に例えて話しかけた。「我々は敵のホームプレートに直接投球する大きな任務部隊のメンバーである。」「ピッチャーのバックアップは我々の特別の任務だ。」   (2019/6/19 06:44:24)

マックス「ピッチャー」のバックアップは比較的容易なことが証明された。悪天候に遭遇した第58任務部隊はマリアナ諸島の東から日本本土に接近した。無線による攪乱と、潜水艦、陸軍のB-29爆撃機、第1航空団の長距離偵察機による偵察を用いて、艦隊は日本軍に気づかれることなく目的に接近する。幸い、折りからの曇天が日本側の報復攻撃を防いでくれた。また、これまでと同様、日本機は任務部隊の中枢まで攻撃を仕掛けることが出来ず倒されていった。アラスカは19日間、護衛の任務を全うした後ウルシーに帰投、定期検査を行った。   (2019/6/19 06:44:45)

マックス沖縄島の攻略は、この時までに1945年4月上旬に実施されることが決まっていた。日本側は沖縄に迫る任務部隊と攻略部隊に対し艦隊と航空攻撃で最大限に反撃してくることが予想された。これを封じるため、第58任務部隊は少しでも空襲および神風の脅威を削ぐべく、九州、四国および本州西部の航空基地を事前に叩くことになった。アラスカは第58.4任務群の一艦となり、任務群の中枢である空母ヨークタウン(USS Yorktown, CV-10)、イントレピッド(USS Intrepid, CV-11)、軽空母インディペンデンス(USS Independence, CVL-22)およびラングレー(USS Langley, CVL-27)の護衛にあたることになった。   (2019/6/19 06:45:01)

マックス3月11日に梓特別攻撃隊の銀河がウルシーに突入し、ランドルフに損傷を与える騒ぎがあったものの、第58任務部隊は3月14日にウルシーを出撃し北西に針路を取った。3月16日に洋上給油を行い、18日には九州南西洋上に出現。九州沖航空戦の第一日目、アラスカのいる第58.4任務群の艦載機は宇佐、大分、佐伯の航空基地を攻撃。他の任務群、第58.1、58.2および58.3の各任務群による攻撃と合わせ、少なくとも107機の日本機を地上で破壊し、その他77から142もの目標を攻撃した。アラスカはこの18日、初めての戦闘を経験した。宇垣纏海軍中将率いる第五航空艦隊部隊のうち、彗星27機と銀河16機からなる菊水彗星隊(平田博一海軍中尉指揮)、菊水銀河隊(宇野篤海軍大尉指揮)が零戦13機に護衛されて第58.4任務群に突入[3]。イントレピッドが小破する被害を受けたが、アラスカは13時15分ごろにこれを迎え撃ち、彗星と銀河各1機を撃墜、被害の拡大を防いだ。   (2019/6/19 06:45:20)

マックスフランクリンの護衛。 翌3月19日、室戸岬のおよそ80km沖にまで接近した第58.2任務群に対し、日本軍は激しく反撃。第58.2任務群は他の任務群より32キロ離れていた。7時8分、空母フランクリン(USS Franklin, CV-13)は銀河か彗星から投じられた2発の爆弾で大破。ワスプ(USS Wasp, CV-18)も神風攻撃で損傷した。アラスカはこの戦い、すなわち猛攻に晒されるフランクリンおよびワスプの苦闘を離れた場所で見ていた。はじめのうちは閃光に注意し、やがてその方角に一条の煙が立ち上るのを見て、空母が打撃を受けていることを知った。間髪容れず、フランクリンが打撃を受けたという放送が流された。 フランクリンを救うべく第58.2.9任務群が急遽編成され、アラスカは任務群の旗艦となり、僚艦のグアム(USS Guam, CB-2)および重巡洋艦ピッツバーグ(USS Pittsburgh, CA-72)、軽巡洋艦サンタフェ(USS Santa Fe, CL-60)、それに3個駆逐隊がこれに続いた。ピッツバーグはフランクリンを曳航し、アラスカは適度な速度で任務群がグアムに向かうよう指示を出した。   (2019/6/19 06:45:44)

マックス午後、任務群は新たな日本機に発見された。それは、IFFを作動していなかったPB4Y-2 プライバティアに紛れこんで任務群に近寄ってきた彗星であった。アラスカ以下の艦艇は対空砲火を打ち上げ、彗星はフランクリンに向けて投弾後、飛び去っていった。幸い、爆弾はフランクリンには命中しなかった。アラスカも51基の機関砲、機銃を発射したが、そのうちの40ミリ機関砲の1ユニットにおいて、火傷を負う乗組員が出た。この乗組員は、アラスカの艦歴における唯一の死傷者として記録された。 3月20日、アラスカは空母ハンコック(USS Hancock, CV-19)から3個戦闘群の指揮の委譲を受け、新たな救援が到着するまで、この任務にあたった。同じ日の11時43分、アラスカのレーダーはおよそ56キロの距離に目標を探知した。目標は屠龍であり、11時49分に駆けつけた戦闘機によって撃墜された。3月22日、フランクリンの危機は完全に脱したと判断されたのでアラスカはフランクリン救援の任を離れ、給油艦チコピー(USS Chicopee, AO-34)から補給を行なった上で復帰した。   (2019/6/19 06:46:03)

マックス沖縄。 第58任務部隊は復活祭日曜日の4月1日に予定された上陸に備えて連日沖縄を空襲。アラスカは本隊を離れてグアム、軽巡洋艦サンディエゴ(USS San Diego, CL-53)、フリント(USS Flint, CL-97)および第47駆逐群とともに第58.4.9任務群を構成し、3月27日に沖縄の東257キロにある南大東島に対する攻撃を行った。燃料補給を行った後、アラスカとグアムは3月27日22時45分から翌28日0時30分までの間、南大東島の南北から攻撃し、アラスカは主砲45発と5インチ砲352発を発射。これに対する海岸からの反撃はなく、アラスカはこの「満足すべき燃えっぷり」を十分に堪能した。 第58.4任務群に復帰したアラスカは、給油艦トマホーク(USS Tomahawk, AO-88)から燃料を補給し、フランクリンの負傷者を移動させた。給油後、航空攻撃に対する警戒を再開した。上陸部隊は4月1日に予定通り沖縄島に上陸し、これを阻止するべく出撃した戦艦大和以下の第二艦隊は、4月7日の坊の岬沖海戦でマーク・ミッチャーの航空攻撃の前に一蹴された。   (2019/6/19 06:46:31)

マックスアラスカのいる第58.4任務群は沖縄と九州の間にあって、F6F ヘルキャットとF4U コルセアによる制空権維持に協力した。4月11日から12日の夜にかけて、アラスカは日本機を撃墜する手助けをした。アラスカはこれについて、相手は「馬鹿爆弾」すなわち「桜花」だったかも知れないと主張した。 4日後の4月16日、アラスカは彗星か零戦、それに新たに出現した3機の敵機の撃墜を支援したと主張した。しかし、猛烈な対空砲火をすり抜けて、1機の神風がイントレピッドに命中した。4月21日夜から22日にかけては、任務群に接近する日本機を対空砲火で追い払い、29日夜から30日にかけても日本機の集団を2度にわたって追い払った。   (2019/6/19 06:46:45)

マックス最後の作戦。 5月14日、アラスカは約2ヶ月に及ぶ洋上行動から一時離れてウルシーに帰投。10日間の休養と補給の後、第3艦隊第38.4任務群に戦艦アイオワ(USS Iowa, BB-61)、空母タイコンデロガ(USS Ticonderoga, CV-14)とともに加わった。次の2週間、アラスカは第38任務部隊の一艦として行動し、6月9日にはグアムとともにいまだ日本の勢力圏内であった沖大東島を艦砲射撃し、かの地にあったレーダー基地を破壊した。 任務群は沖縄周辺での行動を終えてレイテ島サンペドロ湾に向かった。6月13日午後、アラスカ以下の任務群はサンペドロ湾に帰投した。レイテ島で一ヶ月間の休養、回復およびメンテナンスが行われ、アラスカは7月13日に新たに結成された第95任務部隊(フランシス・S・ロウ海軍少将)の一部として出航する。任務部隊は16日に沖縄の中城湾に到着し、任務部隊は給油を行い翌日出航、東シナ海へ向かった。台風の影響で沖縄に引き返すこともあったが、7月21日から作戦を開始することとなった。任務は、福州から黄海に至る海域において、全ての日本の船らしい船を葬り去ることであった。   (2019/6/19 06:47:57)

マックスこの作戦にはアラスカ、グアムを基幹としてアーカンソーや真珠湾の生き残りも加わっていた。 この方面には、敵の2隻の戦艦と数隻の空母、駆逐艦、100以上の体当たりボートと航空機が潜んでいると信じられており、実際にそのような情報が届いていた。当然、敵の抵抗が予想されたものの、アラスカとグアム、護衛艦艇は敵に遭遇することもなく、中国の漁船と遭遇したのみであった。艦隊に攻撃を試みた日本軍機は戦闘哨戒を担当した航空機部隊によって撃退された。中城湾を拠点としてアラスカは東シナ海における三度の掃海作戦の支援に参加したが、結局目ぼしい日本艦艇は観測されなかった。グアム艦長のレランド・P・ラヴット大佐は、「我々は蜂の巣と戦って、パンジー畑で傷つくのを覚悟していた。しかし、東シナ海は我々のものであることが証明された」と語った。   (2019/6/19 06:48:34)

マックス戦争の終結も近づいたものの、依然日本軍の抵抗は続けられた。8月12日夜、アラスカのそばに停泊していた戦艦ペンシルベニア(USS Pennsylvania, BB-38)に対し日本軍機が夜間攻撃を行い、ペンシルベニアは艦尾に魚雷1本が命中し大破した。翌日、特攻を回避するため夜間の出撃が行われた。8月15日に日本は降伏し、艦は歓喜に包まれた。アラスカの日誌には「我々は1月に初めて戦闘地域に出発したときに誰もが予想したより、はるかに早く帰ることができたのを知った」と記述された。 アラスカは戦争を通じて損傷らしい損傷は受けなかったが、運動性能は良くなく、サラトガと同程度であるとの報告が艦長より出された。   (2019/6/19 06:49:04)

マックス戦後。 8月30日にアラスカは第7艦隊の占領部隊の一部として、またアメリカ海軍の威容を示すため黄海および渤海に向かい、韓国の仁川に1945年9月8日に到着する。アラスカは仁川の占領部隊上陸を支援し、9月26日まで留まる。その後中国の青島に向けて出航し、中国の港湾を占領するため上陸する海兵隊第6師団の支援のため、10月11日に湾の入り口に停泊し、その後11月13日まで青島に留まった。仁川に戻るとマジック・カーペット作戦の一部として陸軍の帰還兵を乗艦させ、11月14日に帰国の途に就く。アラスカは真珠湾経由でサンフランシスコに向かう。   (2019/6/19 06:49:30)

マックスサンフランシスコからパナマ運河へ向かい、1945年12月13日に通過、12月18日にボストン海軍造船所に到着する。ボストンでは不活性化前の信頼性試験を行い、1946年2月1日に出航、翌日ニュージャージー州ベイヨンに到着する。1946年8月13日に不活性化の上、ベイヨンで予備役として保管され、1947年2月17日に退役する。その後、アラスカは現役任務に戻ることなく1960年6月1日に除籍され、6月30日にニューヨークのルリア・ブラザース社リプセット部門にスクラップとして売却された。 アラスカは第二次世界大戦の戦功で3つの従軍星章を受章した。   (2019/6/19 06:49:41)

マックス   (2019/6/19 06:50:46)

マックスグアム (大型巡洋艦) 女 167cm アラスカとは双子で妹。アラスカの性格とは真反対な内気な性格。アラスカは赤を基調としているがグアムは青を基調としている。空母フランクリンの護衛をした時から恋してる。相手間違えてるとか言えなi((( アラスカとはまた印象が逆転しているため、人見知りであまり人と関わろうとしない。それどころか自虐的。自身の性能に劣りはないが…。( アラスカからも心配されている。ちょっとネガティブ。   (2019/6/19 06:55:02)

マックスグアム(USS Guam, CB-2)はアメリカ海軍の大型巡洋艦。アラスカ級大型巡洋艦の二番艦。艦名はグアム島に因む。その名を持つ艦としては2隻目。   (2019/6/19 06:55:18)

マックストリニダードでの整調後、グアムはフィラデルフィアを1945年1月17日出航し、パナマ運河経由で2月8日に真珠湾に到着、太平洋艦隊に合流する。間もなくグアムはフォレスタル海軍長官の訪問を受ける。3月3日に真珠湾を出航し、3月13日にウルシー環礁に到着、姉妹艦のアラスカ(USS Alaska, CB-1)と共にミッチャー提督率いる第58任務部隊に加わる。   (2019/6/19 06:55:35)

マックスその後ウルシー環礁で配置転換が行われ、グアムはアーサー・W・ラドフォード少将率いる第58.4任務群に配属される。部隊はアメリカ海軍史上最も強力な艦隊の一つであった。九州近海から四国に向けて展開し、3月18日に同水域に到着する。同部隊を含む任務部隊は、空母ヨークタウン(USS Yorktown, CV-5)、イントレピッド(USS Intrepid, CV-11) 、インディペンデンス(USS Independence, CVL-22)、ラングレー(USS Langley, CVL-27)、戦艦ミズーリ(USS Missouri, BB-63)、ウィスコンシン(USS Wisconsin, BB-64)、巡洋艦アラスカ、セントルイス(USS St. Louis, CL-49)、サンディエゴ(USS San Diego, CL-53)、フリント(USS Flint, CL-97)及び15隻の駆逐艦から構成され、多くの激戦地に投入された。グアムの初陣はすぐに訪れる。戦闘は空母部隊に対する5機の特攻機の突入から始まった。グアムは敵機に対して直接の砲撃を行い、この戦闘では空母エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)とイントレピッドが損傷を受けたが活動を継続した。   (2019/6/19 06:55:55)

マックスエンタープライズは艦橋近くに爆弾の直撃を受け、イントレピッドは後部飛行甲板に特攻機が突入した。戦闘は午後も継続し、グアムの部隊は敵機4機を破壊し、そのうち1機はグアムが撃墜した。翌日の午後、グアムは戦闘で大破した空母フランクリン(USS Franklin, CV-13)の護衛に従事し、同任務は3月22日まで継続した。 補給が完了するとグアムは第58.4任務群に再合流し沖縄諸島近辺の戦闘地域に向けて出航した。3月27日の夜から3月28日にかけてP・S・ロウ少将率いる第16巡洋艦部隊は南大東島の飛行場に対し艦砲射撃を行う。その後5月11日までグアムは南西諸島での空母部隊の支援任務に従事した。   (2019/6/19 06:56:11)

マックスウルシー環礁での修理および補給後にグアムは再び沖縄東部水域に向けて出航し、ウィリアム・ハルゼー提督率いる第38.4任務群から改名された第3艦隊に合流した。ここでグアムは九州の飛行場を攻撃する空母部隊の支援を行った。6月9日にグアム、アラスカおよび5隻の駆逐艦は沖大東島に向けて90分間の艦砲射撃を行った。3ヶ月にも及んだ沖縄戦での支援任務を終え、部隊はレイテ湾に向かい、サンペドロ湾に6月13日到着した。 グアムは第95巡洋艦任務部隊の旗艦となる。部隊はグアム、アラスカ、4隻の軽巡洋艦および9隻の駆逐艦から構成された。同任務部隊は1945年7月16日から8月7日まで東シナ海及び黄海に展開した。直接の戦果は僅かであったが、損害を受けることなく日本近海の掃討を成し遂げられた事実はアメリカ海軍がもはや圧倒的な制海権を握っていたことの証明であった。部隊は8月7日に沖縄に帰還した。   (2019/6/19 06:56:24)

マックス数日後にグアムはロウ少将率いる中国北部方面部隊に旗艦として加わり黄海に向かい、青島、旅順、大連を訪れアメリカ海軍の威容を知らしめた。その後9月8日に仁川に向かった。グアムは仁川を11月14日に出航し、12月3日にサンフランシスコに到着する。12月5日にサンフランシスコを出航し12月17日にニュージャージー州ベイヨンに到着、同所で1947年2月17日に退役する。グアムは大西洋予備役艦隊ニューヨーク・グループで保管され、1960年6月1日に除籍、1961年5月24日にメリーランド州ボルチモアのボストン・メタルズ社にスクラップとして売却された。 グアムは第二次世界大戦の戦功で2つの従軍星章を受章した。就役から退役まで3年も無い短命な艦であった。   (2019/6/19 06:56:38)

マックス   (2019/6/19 06:58:38)

マックスハワイ(大型巡洋艦) 男 178cm 赤を基調とするアラスカ、青を基調とするグアム、そして三番艦のハワイ。ハワイは緑を基調としている。ギターベース両方できる。性格はアラスカとグアムの真ん中で、自身の性能に過大評価はしないが、それなりの自信はあるようで、慌てすぎず、だが周りが見えるようにと、まさに策略家といった感じ。他人にも流されず、常に自分のペース。頭がキレやすいため、頼られるが未成艦であったこともあり、実戦経験はほとんどない。なので心配しやすい。   (2019/6/19 07:01:32)

マックスハワイ (USS Hawaii, CB-3) はアメリカ海軍の大型巡洋艦。アラスカ級の3番艦。艦名はアメリカ合衆国の準州(連邦自治領)であったハワイに因む。 1943年12月20日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所にて起工。1945年11月3日進水。 1947年、建造中止。以後は未完成状態のまま保管艦とされ、艦隊指揮艦及びミサイル巡洋艦への改装が検討されたが実現せず、1958年6月9日除籍。翌1959年にはスクラップとして売却された。   (2019/6/19 07:01:50)

マックス   (2019/6/19 07:01:53)

マックスフィリピンズ (大型巡洋艦) 男 177cm 計画艦。黄色を基調としている。かなりのお転婆で、ドジっ子。なお鈍感で気づきにくい。かなりのマイペースで、自分の時間を邪魔されると怒る。少し怖がり。本当に四番艦?((   (2019/6/19 07:04:38)

マックス   (2019/6/19 07:04:40)

マックスプエルトリコ 女 166 cm 五番艦だが計画艦である。オレンジ色を基調としている。重度のシスコンでその対象はフィリピンズ。シスコン通り越してちょっとヤンデレ気味。計画だけで終わってしまったことがあるので、深く気にしている。もちろん実戦経験は無し。マイペースで周りに流されやすいフィリピンズをとても心配している。端から見ればいきすぎた心配だが、当の本人フィリピンズは全然気づいてない。いや気づけよ!((   (2019/6/19 07:09:45)

マックス   (2019/6/19 07:09:48)

マックスサモア 男 178cm 六番艦で計画艦。紫を基調としている。あざとい上に小悪魔。フィリピンズに似てマイペース。だがお騒がせの自由人。個性的な兄弟に囲まれているため、日々苦労している。なので基本一人でいる時が多い。   (2019/6/19 07:12:19)

おしらせマックスさんが退室しました。  (2019/6/19 07:12:22)

おしらせマックスさんが入室しました♪  (2019/6/20 07:23:34)

マックス和泉 (防護巡洋艦) 男 186cm 生まれはイギリス育ちは日本。自身の性能を過信している。ちょっと慢心して油断をつかれやすい。同じ配属先の厳島とは仲がいい。好戦的で実戦を好む。それ以外は基本ダラダラとしているが、最近は運動もし始めた。大体適当で力を入れない。戦闘になると本領と本気を出す。他にも本気出せや。(( 多く艦が配属された艦隊にいたため、実際面識は広い。兄貴肌で面倒見がいい。   (2019/6/20 07:30:32)

マックス和泉(いずみ)は、日本海軍の防護巡洋艦。艦名は旧国名「和泉国」にちなんで名づけられた。元はチリ海軍所属、世界初の防護巡洋艦[要出典]「エスメラルダ」(スペイン語: Esmeralda、「エメラルド」の意味)。「エスメ」ラルダと「和泉」の音の類似に基づく命名。   (2019/6/20 07:31:11)

マックス1881年、イギリス、ニューカッスルのアームストロング社のエルジック[2]造船所で起工、1884年に竣工した。1894年に日清戦争に伴う戦力増強のため、チリ政府から日本海軍が購入した。この時チリは中立を維持するために、「エスメラルダ」を一旦エクアドル政府に売却してから日本に売り渡した。引き渡しはガラパゴス諸島で行われ、日本に到着するまでエクアドル国旗は降ろされなかった。 1895年(明治28年)1月8日、艦籍に編入され「和泉」と命名、横須賀鎮守府の所管と定められた。2月5日、横須賀に到着し、金州警備に従事した。 1898年(明治31年)3月から翌年にかけて、横須賀造船廠で主罐を換装した。3月21日、三等巡洋艦に類別。   (2019/6/20 07:32:01)

マックス1900年(明治33年)の義和団の乱では厦門警備に従事した。 1901年(明治34年)から翌年にかけて横須賀造船廠で主砲の安式(アームストロング)30口径25.4cm単装砲2基を安式45口径15.2cm単装速射砲2基に換装した。同時に副砲の安式40口径15.2cm単装砲6基を安式40口径12cm単装速射砲6基に換装した。また魚雷発射管を35.6cmから45.7cmに換装した。ファイティング・トップ(ミリタリーマストの速射砲を据えるスペース)も撤去された。 1903年(明治36年)12月28日、第三艦隊(司令長官:片岡七郎中将、旗艦:防護巡洋艦厳島)隷下の第六戦隊(須磨(戦隊旗艦)、和泉、千代田、秋津洲、司令官:東郷正路少将)に配属される。 日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、対馬海峡警備、日本海海戦、樺太作戦等に参加した。日本海海戦では、(1905年5月27日の)午前6時過ぎに仮装巡洋艦信濃丸からバルチック艦隊への触接任務を引き継いだ。また装甲巡洋艦「ヴラジーミル・モノマフ」と砲戦を行った。   (2019/6/20 07:32:24)

マックス1912年(明治45年)4月1日に除籍され、翌年1月13日に売却、1月15日に引き渡され長崎で解体された。 和泉の船首に付いていた菊花紋章は現在、記念艦三笠内に展示されている。   (2019/6/20 07:32:44)

おしらせマックスさんが退室しました。  (2019/6/20 07:34:54)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/22 15:52:12)

マックス・シュルツソビエツキー・ソユーズ(Советский Союз: ) 男 186cm  本人曰く虚弱な貧血体質。そのためか、死人と見間違えるくらい肌が白い。肩まで伸びた黒髪と不気味な笑顔が特徴。瞳の色は紫。 指を齧る癖がある。がじがじ。敬語で話し、一人称はぼくと書いて私。淡々としているようで表情は思いのほか豊か。非常に狡猾な性格で、目的以外のものには無関心かつ冷徹な態度をとる。そして最も特筆すべき点は超人的な頭脳の持ち主である事である。普段は冷静で人との交流が少ないため不気味がられている。軍の中では一番謎に満ちており、存在が薄い。 未成艦ということもあってか、本人にとっては地雷になってる。   (2019/6/22 16:01:25)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 16:02:38)

マックス・シュルツソビエツカヤ・ウクライナ(Советская Украина: ) 男 186cm  ソユーズとは策士という点で似てる。が、ソユーズとはうってかわって暗めでネガティブ。同じく貧血体質で太陽に弱い。すぐ倒れる。一人称は僕とかいてわたし。よく図書館に引きこもってる。弱腰ですぐ逃げる。   (2019/6/22 16:09:21)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 16:09:35)

マックス・シュルツソビエツカヤ・ベロルーシヤ(Советская Белоруссия: ) 男 175cm  「私の予想を超えるものなどこの世に存在しない」と豪語するのが目立つ謎の人物。貧血体質。他人のことなど一切興味が無いように思われる。ソユーズに対しては強い執着と独占欲を持っている。そしてその狂ったともいえる「愛」は指揮官に向けられる…。ソユーズの弟なだけあって超人的な能力を持つ。   (2019/6/22 16:23:07)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 16:23:10)

マックス・シュルツソビエツカヤ・ロシア(Советская Россия:) 男 173cm  頭脳明晰で冷酷でドS。しかし、猫を飼い愛でたり、気を許したものに対しては優しい一面も持っている様子…が、普段は非常に口が悪く、よく仲間を弄る・揶揄う等翻弄させている。暇となればところ構わずちょっかい出す。前までは普通にツッコミをしていたが、兄たちが兄たちなのでツッコミを放棄した挙げ句気にしないでいる。常識人は誰も居なかった。(((   (2019/6/22 16:29:52)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/22 16:30:02)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/22 19:31:11)

マックス・シュルツ加須 男 181cm 普段は飄々としているが、時折冷酷な発言・表情を見せる。自殺愛好家。先の見えない超人的な思考や策略を兼ね備えており、周りからは「悪魔」と呼ばれている。感情の起伏は低く、読み取りにくい。なお、軍艦ではない。   (2019/6/22 19:36:38)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/22 19:36:41)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/22 20:14:27)

マックス・シュルツライオン (巡洋戦艦) 男 189cm もうひとつの派閥、ようはクイーン・エリザベスに相対する貴族の騎士。様々な死線を潜り抜けてきた孤高の騎士でもある。絶対的な忠誠を誓っており、主に仇なす敵には容赦しない。だが相手をよく見て判断する。話が早い。他者にも優しく、一見堅そうに見えるがそうでもない。戦争を懸念している。いつも仏頂面と言われているせいか、ちょっとだけ気にしてる。   (2019/6/22 20:18:44)

マックス・シュルツ第一次世界大戦でライオンは1914年8月28日のヘルゴラント・バイト海戦、1915年1月24日のドッガー・バンク海戦、1916年5月31日のユトランド沖海戦に参加した。 デヴィッド・ビーティー提督の旗艦として参加したドッガー・バンク海戦では、ライオンはドイツ巡洋戦艦ザイドリッツに命中弾を与えた。だが、ライオンも巡洋戦艦デアフリンガーからの攻撃で被弾し、落伍した。   (2019/6/22 20:19:06)

マックス・シュルツユトランド沖海戦ではドイツ巡洋戦艦リュッツオウの12インチ砲弾がライオンのQ砲塔に命中した。だが、砲塔の指揮官フランシス・ハーヴェイが弾薬庫の扉を閉めることと弾薬庫への注水を命じたため、誘爆は避けられた。 修理後は1917年の第二次ヘルゴラント・バイト海戦に参加した以外、北海に係留されたまま終戦を迎え、1922年に退役。記念艦として保存を訴える声も上がったものの、ワシントン海軍軍縮条約の規定により1924年に売却され、解体された。   (2019/6/22 20:19:39)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 20:20:45)

マックス・シュルツプリンセス・ロイヤル (巡洋戦艦)  女 170cm  ライオンの学友でもあり血の繋がる家族でもある。主に絶対的な忠誠を持ち、少し熱が入ると周りが見えなくなる。ライオンからも指摘されているが、癖のよう。女騎士ということもあり、女性だと思って手加減されるのは苦手。姉貴肌で面倒見が良い。が、本人自身“女性らしさ”を気にしているため、言われると傷つくというシャイな一面もある。結構気にしてた。(   (2019/6/22 20:25:07)

マックス・シュルツバロー=イン=ファーネスのヴィッカース社で1910年5月2日に起工。1911年4月29日進水。1912年11月14日就役。就役後第1巡洋艦戦隊に編入される。第1巡洋艦戦隊は1913年1月に第1巡洋戦艦戦隊と改名された。第1巡洋艦戦隊は1914年2月にブレストを、6月にロシアを訪問した。 第一次世界大戦中、1914年8月28日のヘリゴラント・バイト海戦に参加。   (2019/6/22 20:25:33)

マックス・シュルツ9月28日にプリンス・ロイヤルはクロマティから出港し、イギリスへ向かう兵員輸送船団と合流した。10月26日に第1巡洋艦戦隊に合流したが、数日後にはドイツ東洋艦隊の捜索にあたる北アフリカ・カリブ海戦隊へ増援として派遣された。11月21日にプリンセス・ロイヤルはハリファックスに到着し、ニューヨーク市沖に数日留まった後、東洋艦隊がパナマ運河を使用した場合に備えるためカリブ海へ向かった。東洋艦隊が12月7日のフォークランド沖海戦で撃破されると、プリンセス・ロイヤルは12月19日にジャマイカのキングストンを離れイギリスへ向かった。 1915年1月24日ドッガー・バンク海戦参加。 1916年5月31日、ユトランド沖海戦に参加。22名が戦死し81名が負傷した。 1922年スクラップとして売却され、1926年に解体された。   (2019/6/22 20:25:50)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 20:27:38)

マックス・シュルツクイーン・メリー (巡洋戦艦) 男 176cm  メリーは女性の名前としてつけられるのが一般的なため、それについて言われると拗ねるし怒る。歴戦を潜り抜けてきた兄ライオンに尊愛を持っている。プリンセス・ロイヤルとは同じ所属部隊なため、親友のような親しさがある。純粋無垢で世間知らず。あることには一方通行になり、プリンセス・ロイヤルと同様周りが見えなくなる。   (2019/6/22 20:30:17)

マックス・シュルツ1913年に就役。第一次世界大戦の勃発でグランド・フリート所属となり1914年8月28日ヘルゴラント・バイト海戦に参加した。1915年1月24日のドッガー・バンク海戦の時は改修中であったため参加していない。なお、同年12月には方位盤照準装置が装着されたほか、前部マストやマストヘッド、拡張部や艦橋周辺が支柱により強化されるなどの工事が行われた。   (2019/6/22 20:30:33)

マックス・シュルツ1916年5月31日、ユトランド沖海戦に参加、ドイツの巡洋戦艦ザイドリッツ、デアフリンガーと交戦し、150発以上の砲弾を放ち、ザイドリッツに対して命中弾4発を与えている。その後クイーン・メリーはデアフリンガーからの命中弾2発によって火薬庫が誘爆した結果、艦首から前部マストまでが根こそぎ吹き飛び、戦闘開始からわずか38分で文字通り爆沈した。乗組員のうち、1,266人が戦死、救助されたのは20人であった。戦艦・巡洋戦艦の主砲の射程距離はこの時期大幅に増大し、そのため放物線を描いて飛来する砲弾は、舷側ではなく甲板に命中する確率が高くなっていたが、各国海軍はその事を認識しておらず、甲板はほとんど無装甲で防御を考慮していなかった。クイーン・メリーの爆沈は、その問題を各国に認識させることになった。   (2019/6/22 20:30:55)

マックス・シュルツまた、英国の最新鋭巡洋戦艦であった本艦のあっけない最期は、“速度こそ最大の防御”とする英国型巡洋戦艦の建艦思想の誤りを証明した。これに対し、防御を重視したドイツ巡洋戦艦は英国巡洋戦艦に比べれば遥かに堅牢であり、本艦を撃沈したデアフリンガーは21発の砲弾を受けながらも沈没を免れている。 クイーン・メリーの最期は、日本の金剛型戦艦をはじめとする各国の戦艦・巡洋戦艦のその後のあり方に大きく影響を与えた。なお、本艦の沈没時には、日本海軍の下村忠助中佐が観戦武官として乗艦していたが、クイーン・メリーと運命を共にしている。   (2019/6/22 20:31:03)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 20:31:11)

マックス・シュルツヴァンガード (戦艦) 男 186cm ライオンと同じくクイーン・エリザベス等と対立する貴族の一任。ガングート級戦艦の二番艦ペトロパヴロフスクことマラートを狙っており、しぶとくも勧誘し続けてる。主力を増やす目的もあるが、ヴァンガート自身マラートに恋してることも理由としてある。そのせいでガングートとはいっつも対立して喧嘩する。ドイツ艦は嫌い。“ビスマルクの代わり”と言われると理性を失い暴走する。よっぽと嫌いなんやて…(( 一人っ子。   (2019/6/22 20:37:27)

マックス・シュルツヴァンガード (HMS Vanguard, 23) は、イギリス海軍最後の超弩級戦艦で同型艦はない。艦名は戦艦としては3代目である。   (2019/6/22 20:37:48)

マックス・シュルツ強力な対空兵装(機関砲の数は充実しているため、問題が指摘された13.3cm両用砲を補えると判断された。後にエンガノ岬沖海戦での航空戦艦伊勢型の戦訓から妥当な判断といえる)や英国戦艦中最速の速力(巡洋戦艦は除く)などは、他国戦艦と比較しても引けを取らない、立派なものであった。前級と比べて航洋性が優れており、米海軍との合同演習中、嵐に遭遇した当艦は米海軍のアイオワ級戦艦の半分程しか動揺しない安定性を発揮した。大戦中に急造が実現していたならば非常に価値があったが故に、「遅れてきた戦艦」という名称でも呼ばれる。 旧式主砲の採用(あえてではあるが)や、列強国に比べれば、(急造であるがため)攻防面が劣りがちであると見られるものの、主砲、対空砲、装甲、速度などの総合能力では前級のキング・ジョージ5世級戦艦を上回り、「大叔母の歯を付けた新造戦艦」と揶揄もされるが、英海軍の歴代戦艦の中では最もトータルバランスが優れることから「英海軍史上最良の戦艦」という評価も受けている。   (2019/6/22 20:38:46)

マックス・シュルツ建造はジョン・ブラウン社のクライドバンク造船所で行われた。海軍では1944年の完成を見込んでいたのだが、戦闘による損傷艦の修理や、熟練工員の不足などから建造は遅延し、ようやく竣工したのは、終戦後の1946年4月になった。就役後は本国艦隊の旗艦となったが、戦闘に参加する機会も無く、英国海軍最後の戦艦は王室専用ヨット的な扱いを受け、1947年にエリザベス二世夫妻の南アメリカ訪問に際してお召艦となった。 1946年から1954年にかけて長らく名目上の本国艦隊旗艦を勤めた後、1956年に予備役に編入されて練習戦艦として生涯を閉じた。 なお、1960年公開の映画「ビスマルク号を撃沈せよ!」では戦艦ビスマルク役としても撮影に使用され、銀幕の中でかつての仮想敵の役として登場するという、数奇な巡り合わせとなった。 1960年に除籍され、8月にブリティッシュ・スティール社にて解体処分された。   (2019/6/22 20:39:26)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 20:40:09)

マックス・シュルツヴィクトリア (戦艦) 男 180cm クイーン・エリザベスと同様、国を支配し権力を争っている貴族の当主。身長を気にするクイーン・エリザベスをことあるごとにバカにしてる。腹黒でせこい。民のことを考え行動にするクイーン・エリザベスとは違い、いざとなれば一つの村を捨てる覚悟がある。だが、間違っているかというとそうではない。国のためでもあれば国民のためでもある。彼なりの優しさと優先、そして策略である。どのみち、国を第一にクイーン・エリザベスとはなんら変わりはない。考えが合わないエリザベスとは対立しやすい。煽り上手で戸惑いもしない。   (2019/6/22 20:53:35)

マックス・シュルツヴィクトリア (HMS Victoria) は、イギリス海軍の戦艦。ヴィクトリア級戦艦のネームシップ。ヴィクトリアはイギリス海軍で初めて三段膨張式蒸気機関で推進される戦艦であったとともに、発電機を駆動するために蒸気タービンを備えた初めてのイギリス軍艦でもあった。   (2019/6/22 20:53:49)

マックス・シュルツ1890年3月竣工。当初は「レナウン」と命名されることになっていたが、進水がたまたまヴィクトリア女王(在位1837年 - 1901年)の在位50周年の年に行われたため「ヴィクトリア」という名前に変更された。 1893年6月22日、地中海艦隊の旗艦としてレバノンのトリポリ沖で演習中、戦艦キャンパーダウンと衝突、その衝角で艦腹を破られ短時間で沈没した。地中海艦隊司令長官サー・ジョージ・トライオン中将を含む358人が犠牲となった。生存者の中には、後に第一次世界大戦のユトランド沖海戦時のイギリス艦隊司令長官を務めることになるジョン・ジェリコー提督も含まれていた。   (2019/6/22 20:54:01)

マックス・シュルツ    (2019/6/22 20:54:03)

マックス・シュルツサンス・パレイル (戦艦)  男 178cm  ヴィクトリアの側近で実のところ兄弟なのだが、学友のような関係。ヴィクトリアに仕えているため、地獄であろうとついていくと心に決めている。ヴィクトリアのためならばどんなことも厭わない。無理しやすいため、よく心配されがち。ライオン達と同様、ヴィクトリアには絶対的な忠誠がある。裏で徹底的に潰してしまうという残忍極まりない一面がある。根は誰にでも優しく、気配りができるいい子。ヴィクトリアこそが自分のすべて。   (2019/6/22 20:59:16)

マックス・シュルツサンス・パレイル (HMS Sans Pareil) は、ヴィクトリア朝時代のイギリス海軍の戦艦。2隻のみのヴィクトリア級戦艦の2番艦。名前はフランス革命戦争時代にフランスから捕獲した戦列艦の艦名に拠る。   (2019/6/22 20:59:31)

マックス・シュルツ本艦の設計要素を決定するにあたり、海軍本部が要求したのは、主砲の露砲塔(バーベット)装備から砲塔(ターレット)装備への復帰であった。サンス・パレイルは姉妹艦ヴィクトリアよりわずかに遅れて竣工したため、イギリス史上最後の、主砲塔を1基しか持たない戦艦となった。   (2019/6/22 20:59:47)

マックス・シュルツ可能な限り口径の大きい主砲を装備したいという要望と、先行するアドミラル級戦艦のほとんどに装備された343 mm(13.5インチ)砲のウーリッジ工廠での生産の遅れが、主砲口径の選択に影響した。同じ理由から、アドミラル級の最後の戦艦ベンボウは同級の他の艦よりも大きな口径の砲を(バーベット式に)装備した。大口径砲の採用と、ターレットがバーベットより重いという事実から、海軍本部の要求する排水量の範囲内では、(ベンボウのように)2門の砲を前部と後部に分けて配置することは不可能となった。その結果、2門とも一つの砲塔に納められ、上構の前方に置かれることとなった。後方への火力不足に対しては、軽度の装甲を施した254 mm(10インチ)砲1門が上構の後部に装備された。この主砲は、500ポンドの重量の砲弾を毎秒620 m(2,040フィート)の初速で発射することが可能であり、理論上、1,000ヤード(910 m)の距離から518 mm(20.4インチ)の鉄板を撃ち抜くことができた。   (2019/6/22 21:00:00)

マックス・シュルツ一方、エルズウィック工廠での413mm(16.25インチ)砲の製作にも遅れが生じており、実際、アドミラル級とサンス・パレイルの起工から完成までの期間は、ほとんど同じだった。 サンス・パレイルは、ナサニエル・バーナビーが設計した最後の戦艦となった。   (2019/6/22 21:00:14)

マックス・シュルツテムズ鉄工造船所で建造。サンス・パレイルは1891年7月8日にチャタムで就役して演習に参加し、その後予備艦となった。1892年2月に地中海艦隊に配属され、1895年4月に引退してシアネスの港湾防備艦となるまでそこにとどまった。1899年4月から1900年1月にかけて改装され、さらに1904年1月までシアネスの港湾防備の任務を継続した。1907年、第一海軍卿フィッシャー提督が推進した艦隊近代化計画の一環として、スクラップとして売却された。   (2019/6/22 21:00:28)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/22 21:00:33)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/23 08:11:08)

マックス・シュルツネプチューン (戦艦) 男 178cm  ヴィクトリアに仕える参謀家。一人っ子。元々は貴族の長男として生まれたが、わけあってクイーン・エリザベスとも対立した関係となり、今はヴィクトリアの配下として日々を過ごしている。人一倍お節介でマナーにうるさい。参謀家ともあってか、頭の回転が早い。ちなみにネプチューン(軽巡洋艦)の方とは仲がいい。   (2019/6/23 08:16:21)

マックス・シュルツネプチューン(HMS Neptune) は、イギリス海軍が第一次世界大戦前に建造した弩級戦艦で同型艦はない。   (2019/6/23 08:16:36)

マックス・シュルツイギリス海軍はドイツが多数の弩級戦艦の建造を行わないとの見通しから1908年度計画の戦艦建造は1隻にとどめられた。それが本艦である。本艦の特色として主砲塔配置の変更がある。「ドレッドノート」から前級までは連装砲塔5基10門の30.5cm(12インチ)砲のうち、1・4・5番主砲塔を艦の中心線上に置き、2・3番主砲塔を上部構造物を間に挟み左右対称に配置していた。この形式は主砲10門のうち片舷に8門しか指向できず、主砲門数の指向に無駄があるために本艦に於いて大幅な武装配置の変更が図られた。 その後ドイツの大量建艦計画が明らかになったため、翌1909年計画で本艦の改良型であるコロッサス級戦艦2隻が追加建造された。   (2019/6/23 08:16:50)

マックス・シュルツ竣工以来本国艦隊に所属し、第一次世界大戦のユトランド沖海戦に参加してドイツのデアフリンガー級巡洋戦艦「リュッツオウ」と砲火を交えている。1919年に予備艦となり、1921年に除籍された。   (2019/6/23 08:17:01)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 08:17:03)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/23 08:21:37)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/23 08:37:33)

マックス・シュルツタイガー (巡洋戦艦) 男 180cm  ライオン級と同じ部隊に所属している。ライオンとタイガーって完全に肉食系猫科じゃ…(( 微ツンデレ。騎士でもあるが、基本は医療関係に携わっている。最近は獣系医療をし始めた。猫飼ってる。寅のようなしましま模様をした髪型が特徴的。めんどくさがりで、いつもぐーたらしている。   (2019/6/23 08:41:19)

マックス・シュルツタイガー (HMS Tiger) は、イギリス海軍の巡洋戦艦で完全な同型艦は無い。   (2019/6/23 08:41:45)

マックス・シュルツ本艦はイギリス海軍の1911年度計画により1隻が建造され、竣工は第一次世界大戦開戦後の1914年10月。当初はライオン級巡洋戦艦と全く同型の4番艦となる予定だったが、日本の金剛型巡洋戦艦と比べ主砲塔の配置に遜色があることから、急遽設計を変更して建造された艦である。機関配置が船体中央部に集中した事により、ライオン級において2番・3番煙突により射界が狭められていた3番砲塔が真後ろに射撃が可能となり、後方火力が倍増した。 タイガーの船体設計はアイアン・デューク級戦艦の巡洋戦艦化版であって、金剛型とは直接的には関係がない。またタイガーの装甲配置はライオン級と同じで金剛型とは異なる。よってタイガーを金剛型の改良型とする説は誤りである。しかしタイガーの設計時に金剛型の機関配置を参考にした可能性はある。   (2019/6/23 08:42:04)

マックス・シュルツ金剛型はレシャド5世(エリン)を巡洋戦艦化したものであり、レシャド5世(エリン)はキング・ジョージ5世級戦艦 (初代)をタイプシップとしている。タイガーのタイプシップであるアイアン・デューク級はキング・ジョージ5世級の改良型であるため、両者は共通の先祖を持っているとも言える。   (2019/6/23 08:42:28)

マックス・シュルツ1914年8月に第一次世界大戦が勃発した時はタイガーはまだジョン・ブラウン社のクライドバンク造船所で建造中であった。タイガーは1914年10月に就役し、デイビッド・ビーティー提督が率いる第1巡洋戦艦戦隊に編入された。戦隊には他には巡洋戦艦ライオン、プリンセス・ロイヤル、クイーン・メリーが所属していた。 1915年1月24日、タイガーはドッガー・バンク海戦に参加した。この海戦でタイガーは複数の命中弾を受け、10人の乗員を失った。また、タイガーは225発の砲弾を発射したが、命中したのは1発のみであった。   (2019/6/23 08:42:52)

マックス・シュルツ1916年5月31日のユトランド沖海戦では、タイガーはドイツ海軍の巡洋戦艦から15発の11インチ砲弾を受けた。この内13発は巡洋戦艦モルトケからのものであった。この海戦では乗員24人が戦死した。戦死者の大半は海戦初期にQ砲塔に大損害を与えた命中弾によるものである。 ユトランド沖海戦での損傷は7月2日までに修理された。修理完了後、ライオンが修理中の間の臨時の第1巡洋戦艦戦隊旗艦を務めた。   (2019/6/23 08:43:29)

マックス・シュルツ1917年11月17日、タイガーは第2次ヘリゴラント・バイト海戦に参加したのち、北海における哨戒活動などを行った。第一次世界大戦後の1919年から1922年にかけて大西洋艦隊に配属され、この間に定められた1921年のワシントン海軍軍縮条約でも保有を認められた。1924年から1929年にかけて砲術練習艦となったほか、1929年フッドが改装のため艦隊を離れた際は、短期間ではあるが巡洋戦艦戦隊に復帰した。なおこの際、ロイヤル・オーク事件の当事者の一人であるケネス・ドワー少将がタイガー艦長として着任している。 その後、1930年のロンドン海軍軍縮条約により廃棄されることになり、1931年に除籍後の1932年2月に解体のため売却処分された。   (2019/6/23 08:43:41)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 08:44:00)

マックス・シュルツエイジャックス(装甲艦) 女 167cm 紅茶と読書を趣味としている。戦時中殺されそうになったところをヴィクトリアに助けられたため、ヴィクトリア側に就き、弟とともに召し使いをしている。救ってもらったヴィクトリアには感謝しきれない。尊敬している。主の邪魔と見なせば情を掛けない。冷徹。弟のアガメムノンには厳しい。ヴィクトリアの意見は絶対。元々はとある貧民街の子供だった。   (2019/6/23 08:48:40)

マックス・シュルツ      (2019/6/23 08:49:51)

マックス・シュルツアガメムノン(装甲艦) 男 177cm エイジャックスの弟。経緯は姉と同じ。ヴィクトリアに対する敬意はエイジャックスと似てる。姉がちょっと厳しい上に怖い。姉とヴィクトリアにしか心を開いていない。二人を守るため仲間に楯突くことも平気でやる。   (2019/6/23 08:52:40)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 08:52:43)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/23 08:53:03)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/23 08:55:04)

マックス・シュルツ春日丸 男 183cm 木製外輪船。大鷹とはまた違う。「翔凰丸」と「平運丸」には面識があり、仲がいい。茶道の友。雷電とはどこか馬が合うらしく、ノリがいい。   (2019/6/23 09:02:50)

マックス・シュルツ慶応4年(1868年)1月、春日丸は幕府海軍の軍艦「開陽丸」、「蟠龍丸」、「翔鶴丸」が封鎖する兵庫港に入港した。後に海軍提督になる東郷平八郎は、この時(1月3日)に三等砲術士官として春日丸に乗船している。 1月3日夜、春日丸は僚艦「翔凰丸」、「平運丸」と共に兵庫港を出港し、平運丸は明石海峡方面に、本艦と翔凰丸は紀淡海峡方面に向かったところ、1月4日早朝に春日丸・翔凰丸を開陽丸が発見、開陽丸と春日丸は1,200 - 1,500mの距離で砲撃戦を行った。これが日本史上初の蒸気船同士による近代海戦である(阿波沖海戦)。 春日丸はこの海戦の後、鹿児島に帰港している。   (2019/6/23 09:03:26)

マックス・シュルツ明治2年(1869年)3月、春日丸は旧幕府軍討伐の遠征隊に参加する。旧幕府軍の残党は、北海道でジュール・ブリュネ等のフランス軍アドバイザーも合流して「蝦夷共和国」を樹立していた。 1869年3月25日、宮古湾の北に停泊している時に、遠征隊は幕府の軍艦「回天丸」の奇襲を受けた。回天丸は明治政府の新鋭装甲艦「甲鉄」を急襲し、接舷切込みを仕掛けたが、甲鉄のガトリング砲と春日丸の大砲により撃退された(宮古湾海戦)。30名の戦死傷者を出した。 この後、春日丸は箱館湾海戦等、1869年5月の旧幕府軍降伏までの海事に参加していた。   (2019/6/23 09:03:59)

マックス・シュルツ明治3年(1870年)4月 春日丸は薩摩船籍から明治新政府に移管され「春日(艦)」となる。 明治5年(1872年)使節の花房義質駐朝代理公使を乗せて朝鮮に派遣される。「洋服を着た軍人と使節が乗る蒸気軍艦」であったため、折からの朝鮮の攘夷運動に拍車がかかった(詳しくは「江華島事件#経過」の項目参照)。 1875年(明治8年) 江華島事件にいたる外交交渉の段階で「雲揚」や「第二丁卯」などとともに釜山に派遣。 1877年(明治10年) 鹿児島に「清輝」と共に派遣。 1894年(明治27年)2月2日 除籍。対馬水雷団付属となる。 1896年(明治29年)雑役船となる。 1902年(明治35年) 売却。   (2019/6/23 09:04:33)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:06:06)

マックス・シュルツ春日丸(かすがまる)は、幕末・明治初期の日本の軍艦で、木製外輪船。本艦は当初、イギリスが清国海軍向けにキャンスー(Kiangsu、中国の江蘇省の「江蘇」の事)という名で建造していた艦であったが、清国が受け取りを拒否したために売りに出され、それを慶応3年(1867年)11月3日に薩摩藩の赤塚源六が長崎にて約16万両で購入し、春日丸と改名して就役させた。   (2019/6/23 09:06:14)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:06:38)

マックス・シュルツ朝向丸(ちょうがまる、あさがまる) 175cm  名前に似合わず影で活動する忍。見習いではあるが、センスと才能はある。艦ではない。ちょっと変人でかなり自由に動き回る。仲間に対する信頼はあるが、少しだけ疑心はある。怒る時は怒る激情家。面倒はことはあまりしない。効率主義者。   (2019/6/23 09:11:53)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/23 09:13:56)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/23 09:18:18)

マックス・シュルツヘルルフ・トロル(Herluf Trolle)男 188cm  海防戦艦(デンマーク)。カッコいいものへの憧れが強い。仲間との時間を大切にしていて、楽観的で簡潔に考えてズバズバ本音を言ったりする。さみしがり屋でもある。音楽や絵が好き。中毒性あり。肝心の仲間からはうるさいだので酷い扱いを受けているが 皮肉や嫌味が通じず「そーか!」で済ます天然。驚くほど呑兵衛。   (2019/6/23 09:19:08)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:19:10)

マックス・シュルツオルフィアツ・フィッシャー(Olfert Fischer) 男 185cm  一見男性っぽくクールに見えても、とにかく優しく人に甘い。好きな人にはとことん尽くす。やきもち妬きで怒りやすい。洗練された物を好む。器用貧乏。兄に似てうるさい。   (2019/6/23 09:19:42)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:20:02)

マックス・シュルツペートー・スカラム(Peder Skram)男 174cm  性格に難がなく、誰とでも仲良くなれる。素直でいいやつ。おだやかな雰囲気を持ち、今が楽しければいいと思っている。常ににこにこしてると思われることが多い。 こちらも兄に似てうるさい。ドイツに鹵獲された過去を持つ。   (2019/6/23 09:21:28)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:21:30)

マックス・シュルツペダー・スクラム(Peder Skram)   1905年4月25日にコペンハーゲン海軍造船所にて起工、1908年5月2日進水、1908年9月24日竣工、1943年8月29日自沈。ドイツに鹵獲され、ドイツ海軍防空艦「アドラー(Adler)」として最就役。1945年4月にキールで連合国機により撃沈後、浮揚されてデンマークに終戦後に返還。1949 年1月4日に業者に売却されコペンハーゲンにて解体処分。   (2019/6/23 09:21:47)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:21:55)

マックス・シュルツロルフ・クラケ(Rolf Krake) 男 187cm  モニター艦。リンドルメンとゴームの古き友達!ズッ友だよ☆((非常に傲慢で豪快。常にフリーダム。自由過ぎて暴れ気味。一人っ子だったこともあり、自分を尊敬してくれる弟(妹)、甘えても受け止めてくれる心広い姉(兄)が欲しい。友情素晴らしい!((信じすぎて騙されやすい。感情の起伏が激しく、涙脆い。なお、お酒を飲むと泣き上戸である。   (2019/6/23 09:23:47)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:24:13)

マックス・シュルツリンドルメン(Lindormen)男 184cm  モニター艦。雰囲気が古いパリピ。別にチャラい訳ではない。性格的にはロルフに似てるが、暴走と言うほどやらかしてはいない。どちらかというとまだ落ち着いている。ロルフとゴームは竹馬の友達。面倒見がよく生活力があるため、よく面倒なことを投げられやすいが、最期までやり遂げる性格。   (2019/6/23 09:25:08)

マックス・シュルツあ、色変えてなかった((   (2019/6/23 09:25:25)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:25:48)

マックス・シュルツリンドルメン(Lindormen)男 184cm  モニター艦。雰囲気が古いパリピ。別にチャラい訳ではない。性格的にはロルフに似てるが、暴走と言うほどやらかしてはいない。どちらかというとまだ落ち着いている。ロルフとゴームは竹馬の友達。面倒見がよく生活力があるため、よく面倒なことを投げられやすいが、最期までやり遂げる性格。   (2019/6/23 09:25:51)

マックス・シュルツ    (2019/6/23 09:25:55)

マックス・シュルツゴーム(Gorm)男 185cm  モニター艦。三人の中ではどちらかというと異常人。困ったときは肉体言語。暴力、なんて良い響きなのでしょう!((DVではないが、なんでもかんでも物理で解決したがる。現実的なことは苦手、なので国語も苦手。日本語?I don't know((無駄に諦めの良さが特徴的な取り柄といったところ。   (2019/6/23 09:26:44)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/23 09:27:11)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/23 09:44:01)

マックス・シュルツさどとも 男 167cm  本名は「佐渡 知継(さど ともつぐ)」。略して「さどとも」。ゲスで腹黒でとにかくしでしかす。が、根は優しく仲間想いでちょっとツンデレ。茶髪でぼっさぼっさしてる。阿乃河の同級生で仲がいい。ひょんなことから異世界に飛ばされた。   (2019/6/23 09:46:55)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/23 09:48:42)

おしらせマックスさんが入室しました♪  (2019/6/27 17:16:56)

マックスウィズ・キャンドルメン 女 167cm G級駆逐艦(2代目)に仕える人間。艦ではないため、力はないが忠実なる部下。主にグローウォームの側近として共に仕事をしていたが、ロシアに人質として戻れなくなった時には一心に頑張っていた。   (2019/6/27 17:21:29)

マックスグローウォームに対し恋愛感情を抱いている。が、やはり人間と兵器の狭間があるため叶うか否かは本人による。当初はハーディとハンターを女の子だと勘違いしていたが、後に男の子だと知る。未だに衝撃的らしい。なお、最初なにかとハーディとグローウォームが絡むと暴走しがちになる。男というのと、仕事の間柄なだけであると知ったときには安堵していた。おいまてまて。人間嫌い?で評判なソユーズには何かと興味を持たれている。ウィズの主な仕事というのはグローウォームの護衛と奉仕である。が…他の艦曰く「仕事というか最早プライベートに見える」とのこと。   (2019/6/27 17:28:18)

マックス他の艦らにも尊敬と敬愛を持ち、グローウォームの名を上げるために努力するが頑張りすぎる傾向がある。どんな手も厭わず、余裕で徹夜もする。自分を労りましょう。最近の趣味は写真集めなのだが、その写真のほとんどはグローウォームのものばかり。まさかのSTK疑惑…だが、本人は「護衛と先輩のため、日々欠かさずやるべきこと」とどうやら自覚は無いらしい。もちろん私情もあるようだが、護りたいという思いは本音である。ちなみにグローウォームもストーカーされてることを知っているが、本人が満足なら別にいいと甘やかしている。おい。((   (2019/6/27 17:33:39)

おしらせマックスさんが退室しました。  (2019/6/27 17:33:52)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/28 15:03:52)

おしらせ無言時間が20分を超えたため、マックス・シュルツさんが自動退室しました。  (2019/6/28 15:27:36)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/28 16:17:32)

マックス・シュルツおっとと   (2019/6/28 16:17:37)

マックス・シュルツ山浦丸 男 170cm  海を愛し、海に愛される…そんな座右の名を目指して鮫を連れる。というのがコンセプトで、ただただ海が大好き。特に鮫はカッコいい。((釣りが趣味でベテラン。ガチ勢。あまり人と関わらず、孤立している。というのも、人嫌いだから。そのせいで変に頑固で周りに動物がほとんどな状態。ぼっち。ルノワールの描く絵が好きらしい。   (2019/6/28 16:23:24)

マックス・シュルツ    (2019/6/28 16:24:38)

おしらせ無言時間が20分を超えたため、マックス・シュルツさんが自動退室しました。  (2019/6/28 16:46:45)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/6/28 17:04:20)

マックス・シュルツ山彦丸 女 165cm  山浦丸の妹。人間嫌いでそっけない兄が心配みたい。世話焼きでお人好し。山浦丸からも信頼されていているが、あまり気づいていない。   (2019/6/28 17:07:39)

おしらせマックス・シュルツさんが退室しました。  (2019/6/28 17:07:41)

おしらせ結紐さんが入室しました♪  (2019/7/5 19:54:13)

結紐いえーい   (2019/7/5 19:54:33)

結紐ちと放置   (2019/7/5 19:55:33)

結紐(設定書けよ)   (2019/7/5 19:55:51)

結紐影法師 秋 (カゲボウシ アキ) ♂ 27歳 172cm よくチビっていじられる霊媒師。。霊感が強く、人にとりついている神やら霊やらが小さい頃から見える。やばいのはやばいオーラを出しているのでそれを霊媒するそう。いつも布面をつけたりお面をつけている。曙色の着流しを着て、赤色の鼻緒がついて金色の鈴がついた一本下駄をはいている。いつも短刀のついた扇と鉄扇を胸元に忍ばせている。髪色は白、緩めの癖毛で、肩にちょっとかかるくらい。目は見えないけど黒。ミステリアスお兄さん。最近、腰痛に悩まされている。和菓子とか和の食べ物が好き。細マッチョ。   (2019/7/5 20:11:36)

結紐秋「ふふ、よろしくね?…おっと、君の後ろに自殺した中学生の怨霊が……冗談だよ。」   (2019/7/5 20:12:50)

結紐こんくらいかなー   (2019/7/5 20:13:06)

おしらせ結紐さんが退室しました。  (2019/7/5 20:13:10)

おしらせマックス・シュルツさんが入室しました♪  (2019/7/6 20:04:29)

マックス・シュルツこんばんわ   (2019/7/6 20:04:36)

マックス・シュルツファランクス (火器) 男 176cm  たぶん汚物は消毒だー!って思い浮かべた人自分だけじゃないはず。言うても全然予想するようなのじゃないんですけど。軍艦とか諸々に搭載する近接防御火器システムで世界各国にて扱われている。アメリカ出身。物事の吸収や対応が早い。普段は冴えない先輩みたいな感じだが、あくまでそれは落ち着いているときの様子。実戦経験も少なくなく、顔も広く様々な艦等と知り合いである。独特な世界観を持っている。いざとなれば殺めることさえ厭わない、ある意味残忍で冷酷。   (2019/7/6 20:12:41)

マックス・シュルツファランクス(英語: Phalanx)は、アメリカ合衆国で開発されたCIWS。M61「バルカン」 20mm多銃身機銃と小型の捕捉・追尾レーダーを組み合わせて、対艦ミサイルのような小型高速の目標を全自動で迎撃できるようにしたシステムであり、アメリカ海軍ではMK 15として制式化され、バルカン・ファランクスと俗称される。   (2019/7/6 20:13:38)

マックス・シュルツ    (2019/7/6 20:20:02)

マックス・シュルツ勝鬨丸(輸送船) 男 173cm アメリカ生まれ日本育ち。ほとんど日本語ペラペラだがなぜか英語が出る。熱血でうるさく勝気がある。乗せられるとチョロい。ちょっとバカ。拿捕されたこともあり、祖国に帰りたいと望んでいるが浅香丸などもいるので案外満足している。駆逐艦文月とは衝突した過去がある。   (2019/7/6 20:24:38)

マックス・シュルツ勝鬨丸(かちどきまる)は、日本の輸送船。元はアメリカの貨客船であるプレジデント・ハリソン(SS President Harrison)であった。   (2019/7/6 20:24:54)

マックス・シュルツ502型貨客船の建造    第一次世界大戦末期、アメリカUSSB(船舶院)は大型の軍隊輸送船の建造を計画した。しかし、その途中で大戦が終結したため、軍隊輸送船を貨客船に改めて建造されたのが、502型貨客船と535型貨客船の2種類の貨客船である。502 および 535 は、船体の垂線間長の長さに由来する。 基本設計はニューヨーク・シップビルディング社、内装はベスレヘム造船、客室調度品はスローン社が担当。船型は長船橋を持つ三島型で、船橋と客室フロアの間には貨物ハッチが設けられていた。一等船室は3区画に設けられ、最上層にある客室は2部屋ごとに共用のバスルームが設置されるなど、外観の不恰好さと反比例して内装は豪華さを極めた。502型は7隻建造され、いずれの船名も当初はアメリカの州のニックネームが付けられた。   (2019/7/6 20:25:37)

マックス・シュルツ    (2019/7/6 20:25:47)

マックス・シュルツプレジデント・ハリソンとダラー・ライン     プレジデント・ハリソンはヴォルヴァリン・ステート(Wolverine State)として1921年1月に竣工。「ヴォルヴァリン・ステート」はミシガン州のニックネームである。ヴォルヴァリン・ステート以下7隻の502型は、USSB は7隻の運航を民間のパシフィック・メイル社に委託した。この頃、7隻の船名がすべて大統領の名前に改められた。ヴォルヴァリン・ステートはプレジデント・ハリソンに改名され、姉妹船とともにパシフィック・メイル社のサンフランシスコ・コルカタ線に就航。しかし、不況で航路はすぐさま閉鎖となった。   (2019/7/6 20:26:40)

マックス・シュルツ当時、アメリカと極東を結ぶ航路を持つ船会社のうち、アメリカに於いては材木商出身のロバート・ダラー(1844年 - 1932年)とその家族が率いるダラー・ラインがライバルの船会社を次々と手中に収めて席巻しつつあった。パシフィック・メイル社もダラーの支配下となり、1925年に吸収された。パシフィック・メイル社を手中に収める前、ダラーも含めたアメリカ海運業界の一大関心事は世界一周航路の開設であった。アメリカ東海岸からパナマ運河を経由してアメリカ西海岸、アメリカ西海岸から極東、極東からヨーロッパへの物流は増加傾向にあり、有望株と見られていた。ダラーも世界一周航路への参入を計画していたが、参入条件として、航路閉鎖によりだぶついていた502型7隻を安値で購入することを挙げていた。ダラー一族のスタンレー・ダラーが USSB との折衝役となり、1923年に1隻あたり60万ドルの値段でプレジデント・ハリソンを含む502型全てを購入した。ダラー・ラインでは、この年に購入船を用いて世界一周航路の試験航海を行い、本格就航に備えた。   (2019/7/6 20:27:47)

マックス・シュルツ1924年1月5日、プレジデント・ハリソンはダラー・ラインの西回り世界一周航路の第一船としてサンフランシスコを出港した。   (2019/7/6 20:27:55)

マックス・シュルツ    (2019/7/6 20:27:57)

マックス・シュルツダラー・ラインの西回り世界一周航路の経由地    プレジデント・ハリソンは106日かけてサンフランシスコに帰ってきた。この航路は東海岸から西海岸への船客、アメリカから極東への貨物、極東から欧米への重要貨物の往来により、初年度こそ赤字だったが、次の年度から潤った。極東・欧米間の輸送では特にカシューナッツやラテックス、砂糖などの輸送が利益を上げた。ニューヨークへの輸送日数も1ヶ月早くなり、ダラー・ラインはスケジュールの厳守も相まって会社全体の評判も高まった。   (2019/7/6 20:28:52)

マックス・シュルツ1930年ごろ、プレジデント・ハリソンなど4隻の上部構造が改装され、船橋と客室フロアを分け隔てていた貨物ハッチは一等客室の増設にあてられ、すっきりとした外観になった。しかし、この改造資金は USSB から借金したものだった。また、1929年に始まった世界恐慌の波が、事業を急拡大しすぎて放漫経営に陥りつつあったダラー・ラインを直撃しつつあった。事業の急拡大を懸念していたロバート・ダラーが1932年に亡くなると会社の屋台骨は大いに揺らぎ、経営不安が一気に表面化した。資金繰りがままならず、借金返済を何度の猶予する有様で、そのような状態にもかかわらず、会社の重役には高額の給与が与えられていた。ついには保険金で会社の資金をやりくりするという荒業まで飛び出したが、焼け石に水だった。   (2019/7/6 20:29:48)

マックス・シュルツ1937年12月11日には、虎の子の新鋭貨客船プレジデント・フーヴァー(SS President Hoover、21,936トン)が火焼島で座礁沈没。これは、もはや老朽船代替の新鋭船を建造する資金すら底を突きかけていたダラー・ラインに止めを刺したようなものだった。1938年6月、スタンレー・ダラーは万策尽きてダラー・ラインの運航停止を表明。ダラー・ラインの株を政府に貸し、海運事業から去って元の材木商に戻った。プレジデント・ハリソンを含むダラー・ラインの船隊は、政府と米国海事委員会主体で設立されたアメリカン・プレジデント・ラインに移籍。ファンネルマークも「$」から「アメリカン・イーグル」に変更となった。   (2019/7/6 20:30:18)

マックス・シュルツ1941年11月末、プレジデント・ハリソンはマニラと香港でドック入りし、その際に軍隊輸送船に改装された。この後、僚船プレジデント・マディスン(SS President Madison)とともに上海に入港し、同地のアメリカ海兵隊をフィリピンに移動させる任務に就いた。マニラで海兵隊を上陸させた後、プレジデント・ハリソンは12月5日にマニラを出港。北京、天津方面のアメリカ海兵隊引揚げのため秦皇島に向かった。当時、日米関係は危機的状況にあり、プレジデント・ハリソンのオーレル・ピアソン船長は、万が一の際にはオーストラリアへの脱出か、大圏コースからのアメリカ帰還を考えていた。この時点で、プレジデント・ハリソンはドル紙幣とドル貨幣、ペソ紙幣、香港紙幣、小切手、それに託送品の水飴が積まれていた。   (2019/7/6 20:31:01)

マックス・シュルツ    (2019/7/6 20:31:08)

マックス・シュルツ12月8日 拿捕     12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争勃発。プレジデント・ハリソンは、備え付けのラジオで開戦を知り、5時ごろには無電にも開戦の情報が入った。8時30分ごろ、プレジデント・ハリソンは上海の93度110海里地点で日本の哨戒機に発見され、停船を命じられた。この頃、長崎から上海航路定期船の長崎丸(東亜海運、5,268トン)が上海に向かいつつあった。長崎丸は12月7日に長崎を出港し、上海から約60マイルの地点で、プレジデント・ハリソンに停船命令を出した哨戒機から、プレジデント・ハリソンの監視を命じられた。程なくすると、長崎丸は停船して漂泊中のプレジデント・ハリソンを発見。適度な間隔を以って監視任務をはじめた。プレジデント・ハリソンは、二煙突を持つ長崎丸を軍艦と間違えたのか船を捨てる素振りを見せたが、やがて航行を再開して全速力を出し、北に西にと針路を頻繁に変えた。長崎丸は追跡監視しつつ、動向を逐一打電。それに応じて新たな哨戒機が飛来してきた。   (2019/7/6 20:32:03)

2019年06月16日 09時04分 ~ 2019年07月06日 20時32分 の過去ログ
狼妖団設定置き場その2
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